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2014年3月14日金曜日

元巨人の桑田真澄東大大学院合格!!

桑田さん東大大学院合格!投球&打撃フォームの研究へ!!


桑田さんこの人は歴史に残る人物です!!
PL学園から巨人へドラフト1位で入団97年には奇跡のカムバック!!
それだけでは収まらず巨人退団後は大リーグのパイレーツへ入団しその後早稲田大学にも入学しているんですから・・・

元巨人、米大リーグ・パイレーツ投手の桑田真澄氏(45)=スポーツ報知評論家=が、東大大学院総合文化研究科の大学院研究生に合格したことが13日、分かった。数度にわたる面接と研究計画書の学内審査などによる研究能力の評価を経て、この日までに合格通知を手にした。09年には早大大学院の修士課程1年制でスポーツビジネスなどを学び、首席で卒業。今度は日本の最高学府で投球フォーム、打撃フォームなどについて、野球の効率的な動作に関する研究を行う。

 2008年にユニホームを脱いでから丸6年。飽くなき探求心で野球を研究し続ける桑田氏が、今度は「赤門」をくぐることになった。東大大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系の大学院研究生に合格。12日に自宅に届いた通知を自ら開封し、「ちょっとドキドキしたけど、中を見て『入学許可』という文字が見えた時は、やっぱりうれしかった」と表情をほころばせた。

 早大大学院では、スポーツビジネスや野球の歴史といったグラウンド外のことを学んだ。首席で卒業し、卒業論文「野球道の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は、最優秀論文賞と学術的に価値の高いものに贈られる「濱野賞」(日本スポーツ産業学会)を同時獲得した。

 それでも「次は野球の技術的なことを解明したい」という思いが常に心にあった。

 転機は昨年訪れた。1月に東大野球部の特別コーチに就任。定期的に指導していく中で、浜田一志監督(49)に身体運動科学などを研究している中沢公孝教授(51)を紹介された。挑戦を決意し、2月中に中沢教授と数度の面接を行い、3月3日に出願書類一式をそろえて提出。研究計画書は「野球のピッチングとバッティングにおける効率的な動作に関する研究」について、A4用紙3枚にわたって書いた。

 研究生として、在籍期間のメドは2年。中沢教授の研究室に所属し、主に目黒区の駒場キャンパスで大学院の授業を受けながら、研究に励む。英語の論文提出など一定の成果を上げれば、博士号が取れるという。「ドクター桑田」誕生となれば、おそらく日本球界初の偉業だ。

 「別に学位がほしくて学ぶわけじゃない。投球フォームや打撃フォームを動作解析やコンピューター・シミュレーションで解明していくことが目的。自分なりに研究して、今まで築き上げてきた理論の裏付けをしたい」と桑田氏は力説する。

 引退後の約10年を勉強期間と位置づけている。「次にユニホームを着る時には、今回の経験がすごく生きてくる。早大で勉強したグラウンド外のことと、これから東大で勉強するグラウンド内のこと。両方を併せ持ったら、野球界に貢献できると思う」。新生活は46度目の誕生日となる4月1日にスタートを切る。

 ◆桑田 真澄(くわた・ますみ)1968年4月1日、大阪府生まれ。45歳。PL学園高1年夏の甲子園に出場して優勝。2年春、夏は準優勝、3年春は4強、夏は優勝と5季連続出場を果たした。甲子園通算20勝3敗は48年新制高校以降最多。85年のドラフト1位で巨人入り。最優秀防御率2度、MVP、最多奪三振、沢村賞を各1度受賞。95年に右肘を故障、腱(けん)移植手術を受け、96年のシーズンはリハビリに費やしたが、97年に奇跡の復帰を果たした。06年のシーズンを限りに巨人を退団。07年にパイレーツでメジャーデビュー。08年3月に現役引退した。日本での通算成績は442試合で173勝141敗14セーブ、防御率3.55。

 ◆東大大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系 従来の理系、文系の枠を超え、生命に関して分子からヒトまでを包括する。環境応答論、生命情報学、生命機能論、運動適応科学、認知行動科学の5大講座から成り、東大野球部で08年に主将を務めた井尻哲也さんも院生として所属している。

 ◆引退後の桑田氏の動向 08年の開幕目前の3月、パイレーツで現役を引退。スポーツ報知評論家を務める傍ら、09年から早大大学院スポーツ科学研究科の修士課程トップスポーツマネジメントコース(1年制)で学び首席で卒業した。13年1月から東大野球部の特別コーチを務めるほか、今年2月からは長男・真樹外野手(新4年)が在籍する桜美林大でも特別コーチとして、並行して指導している。13年には日本野球機構(NPB)の統一球隠蔽問題を調査する第三者委員会の特別アドバイザーも務めた。

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